※疎開っ子だんべぇ言葉に慣れて夏
今の時代の子供たち、親を含めてだが「疎開」という日本語には馴染みがないだろうが太平洋戦争の末期には東京から田舎の親元に疎開した。
多分、迷惑がられ相互に思いだしたくないことも多くあったに違いない。
私たち当時は5人家族だったが、父親、母親の実家をたらい回しにされ幼児期を過ごした。(私はそう思っている)
父親は洋服屋だったのでミシンがあり、母親が服を縫っていたのでそれなりに重宝されたこともあったように記憶している。
6畳か8畳か10畳か、とにかく1部屋が家族の住まいだった。
今の時代、外人から日本を視ると「思いやりがありお互いを尊重しあい」と日本人をベタ誉めされているが、疎開した私たちは結構に肩身の狭い生活をさせられた。
衣食住が足りて初めて思いやりのある生活ができる。
人間なんてそんなものだよ!
昨夜も2時間ほどの睡眠の後は眠れず、録画していた「タイタニック」を視た。日本映画にはないダイナミックでまさに息を殺して鑑賞した。TVドラマとの違いを悟った。
「タイタニック」の乗客からしたらまさに波乱万丈の人生経験だったろうが、その点、私は波乱百丈程度の人生だったなぁと、この歳になってしみじみと感じる。
今日の朝食は、サバの焼き魚・納豆・漬物・キャベツ+トマト
夕食は唐揚げか?