予定通りというか、予見通りというか、服用する薬を貰いにいくついでの診察、「まったく問題ありません。不整脈もありません」とのこと・・・
死に至るには何かしらの病名が必要となる。
「老衰」は病名だろうか?
平成7年生まれの人の平均寿命は107歳らしい。何を基準として発表しているのか定かではないが、81歳4か月の私の年齢は昭和16年生まれの平均寿命のようだ。
知識人、著名人と云われる人の60歳代の死亡も多く新聞の死亡欄で見かけるが、何かをやり遂げた実績を残しての死はそれなりの価値ある死と云える。
その点、何の意味もなく、車庫に留まりエンジンのかからぬままのわたしは、生きている価値はまったくない・・・と思うと切ない。
急ぎなさんな!「老衰」という死因はあちらからやってくる。
何もこちらから「死」に近づかなくてもあの世へと導いてくれる。
云い忘れたが「彼の世」の存在は私は否定している。
「死」イコール「消滅」である。
この世で、苦しみより楽しみが多かったと認識すれば、私にとって「生きてきてよかった!」となる。
従って、死の床の点滴さえ不必要だ!
死の間際の走馬灯の中身は充分に補充している。
夜ごとのベットでの読書、
「虚無のオペラ」小池真理子、表紙のスタイルの良い女性の裸体。本文の画家のモデルのように魅力いっぱいだ!
「日曜日の夕刊」重松清は今夜の読む本だ。
「実」の世界から「虚」の世界へ・・・
読書は「虚」の世界の入り口である。
昨日は赤城山に紅葉狩りと洒落たが、チャッピーの初の外出。クロスケがなかなか捕まらずに少し苦労した。